【30代後半~40代の不妊治療ブログ】39歳からはじめて43歳11ヵ月で出産できるまで

shutterstock_110115233-480x320

【スポンサードリンク】

結婚年齢が遅くなり、高齢出産の女性が増えていますね。婚活が終わったかと思えば妊活が始まるような、あわただしい流れを経験するかもしれないアラフォー婚。

わたしの場合は38歳で結婚しましたがなかなか妊娠しないことから義母にすすめられ、39歳になってからの不妊治療がスタートしました。

 

しかもそれは自分では想像もしていなかったことだったのでとってもいろいろな驚きや葛藤がありました。そんなこんなで出産に至ったのは43歳と11か月。

そんな体験を淡々とつづります。よろしかったらお付き合いくださいませ。

38歳再婚。人生のパートナー見つけたら安心?

20代で一度結婚を経験しているわたし。子供は作りませんでした。そして30歳で離婚し、そこから長い年月を経て38歳でやっと再婚のお相手がみつかりました。

「第二の人生楽しもう~」勝手に大人二人の結婚生活を描いていたわたしはのんきに夫婦で遊ぶ生活を満喫していました。

毎日のように晩酌をし、行きたいところに行き、食べたいモノを食べ。

「あぁ、再婚最高」と思ったものでした(笑)

 

正直、母親になりたいとか子供が欲しいという願望は薄い方だったと思います。

 

【関連記事】
【アラフォー女子の婚活は「妊活」も視野に⁈】夫婦二人という選択肢も♪

【スポンサードリンク】

義母からのおはなし

結婚して一年以上が過ぎたある日。いつになく真剣な表情の義理の母から「折り入って話がある」と切り出されました。

それは妊娠しないようだから不妊治療に通ってほしいというもの。治療のお金は全額支払うから、どうか頑張ってほしいと…。

「わたしが子供?今から?」というのが正直な気持ちでした。

なぜなら再婚相手も40代。それほど子供が欲しいそぶりなども見えなかった(勝手な解釈)からです。

しかし、なぜか自宅から歩いて10分程度のところに不妊治療専門クリニックがあったんです。

通うのも楽そうだしと、特に考えずに「いいですよ~」と快諾してしまいました。

不妊治療がどんなものかは知りませんでしたが再婚して良かったと感じていたので、旦那さんやお義母さんのためにも「子供を生むのも悪くないかも」と思えたからです。

妊活の始まり…最初のクリニックへ

初めての不妊治療は歩いて10分の不妊専門クリニック。結構遠方から来ている人もいて待合室は患者さんでギッシリ。

待ち時間もすごく長く、クリニックから自宅マンションが見えるものの、週に二回はこのクリニックに缶詰状態になりました。

不妊のための検査をして、次には夫の精液検査などもしていきます。

 

【参考記事】
男性(夫・パートナー)が不妊症?【原因と予防法・治療法を分かりやすく説明します】

 

タイミング法という排卵日を予測してもらい、言われた日に夫婦生活をするという形でのものを二か月ほどやってから人工授精を8回ほどくりかえしました。

その間、女性側の検査はたくさんありいろいろな病名を付けられて薬もたくさん服用していました。

そしてだんだん気持ちがへこんでいったんです。

体外受精にステップアップを勧められる

治療を開始してから1年以上が経過し、わたしは40歳になっていました。そこで体外受精を勧められさんざん悩んだ挙句に踏み切りました。

 

そして3回ほど体外受精をしても授かることは出来ませんでした。

 

ごく普通の体外受精で日程が決まると毎日のように排卵誘発剤の注射を受けに行きます。そしてお腹の中には数十個の卵が増えていく。お腹が張り、気分が悪くなることもありました。

Drからは「お子さんが二十歳になる時あなたは60歳になるわけですが、将来的なことも視野に入れて今後のことを考えておいてください。」と言われたりもしました。

妊活ブログを読み漁っても…

なかなか妊娠しないので、毎日ネットでいろいろ調べる日々が始まりました。

不妊治療を開始してからは、好きなお酒も一切断ち、とにかく体を冷やさないように気を付けたり。健康対策は結構しっかり頑張ったと思っています。でも、どうしてもわたしには違和感がありました。

「妊活ブログ書いている人の赤ちゃんが欲しい情熱に耐えられない!」んです。同じ立場であろう人たちのブログに共感できませんでした。

自分の卵子のことを「たまごちゃん」と呼んだりするその感覚がどうにも自分とは違う。

 

「わたしには母性がないのかも」とちょっと自分を責めてみたりもしました。

占いで転院を決める

近所のクリニックには結局3年以上通院しましたが、結局一度も検査薬の陽性反応をみることはありませんでした。

その時すでに42歳を過ぎていましたので正直「もうやめようかな」と思っていました。迷いに迷い、普段はどちらかというと否定している占いに頼ってみようと思い立ったんです。

すると「男の子が一人生まれるよ。10月かな」
サラリと言われたんです。

「そのかわり病院変えてね。できるだけ活気のある(実績のある)ところに行きなさい。そうでないと生まれない」

言われるままに転院を決めました。

西新宿にある「加藤レディースクリニック(以下KLCと略します)」です。

日本で1~2を争うレベルの高い不妊治療専門クリニックで芸能人も多く通う「大都会」のクリニック。結婚して田舎に移り住んでいたわたしにとっては高速バスと電車を乗り継いで通わなければならないちょっとした旅になりました。

病院を変えて良かった

転院先のKLCはわたしと同い年どころか年上の患者さんもとても多かったことにまず驚きました。

仕事をバリバリやっているであろう女社長のような人から、フライト帰りそのままのCAさん、テレビで見かけるタレントさんなんかもいました。

そしてなにより、とても混んでいるもののスタッフの対応がとても良かったんです。

以前通っているクリニックの方が空いてはいたものの、なぜか待ち時間がとても長く、スタッフもどんよりと疲れている様子でした。しかしKLCではなぜかあまり待たされている感がなく、流れがスムースなので通院が苦になりませんでした。

しかも、医師の方から告げられる言葉も年齢に関して一切言われません。とりあえず卵の状態も良いから誘発剤の注射もなし、飲み薬が5日分処方されるのみです。採卵当日も「無麻酔」で行うため、すぐに帰宅できるうえ次の周期にもまた採卵できるという体に優しいクリニックだったんです。

それまでの治療の影響でなかなか体温が下がらなかったりホルモン値に異常が出たりと副作用に苦しんでいましたが、KLCに通い出してからは体調も良くなっていったんです。

三回目の採卵で顕微授精をしました

一回目の体外受精ではなかなかの良い卵子が取れて受精卵もまずまずの感じ。

「これは一回目で成功するかもしれませんね」と医師に言われかなりドキドキしました。

排卵誘発剤の注射を打たないため、一回に取れる卵子は1個か2個です。空胞といってからっぽの卵子のことだってあるんです。

期待が大きかったものの、一回目の体外受精は陰性に終わりました。

 

その後二回目は空胞。なんだかとてもショックだったのを覚えています。

そして三回目は夫の精子の状態がとても良くないということで、初めて「顕微授精」になりました。

アシストハッチングといって卵子にちょっと切れ目のようなものを入れてから顕微鏡にて受精させるという方法でしたので、かなりの高度医療でした。

初めての陽性反応は東日本大震災とともに

受精卵の分裂の確認を電話でします。この時間が一番嫌でした。途中で成長が終わってしまうことも良くあることだからです。

そうなると子宮には戻すことができません。しかし無事に分裂を繰り返し、移植の日が決まりました。

特に大きな緊張もなく、淡々と移植を済ませて帰りはショッピングを楽しんだりしました。

前に通っていたクリニックでの治療費がトータルで300万円近くなっていたこともあり「これでダメなら諦めよう」と夫に切り出そうと心の中で考えていました。

 

そして2011.3.11東日本大震災が起こりました。

 

わたしの住んでいた地域は震度6強でかなりのダメージを受けました。住んでいたマンションは電気がつかず水も出ない日が4日ほど続いたんです。

そんなバタバタとしている中で、ふと「妊娠検査薬やってみようかな」
フライング検査ではありましたが、なんとなく思い立ってトイレへ。

うっすらと初めて陽性のラインをみました。

しかし、地震の動揺や電気や水道も出ない部屋で一人なんとなくボーっとしていたのを覚えています。夫だけに報告し、妊娠を継続できるか自信が持てなかったので自分の親にも妊娠後期に入るまで内緒にしました。

妊娠確定、地元の病院に紹介状

陽性反応が出た後、KLCへ。無事に心拍を確認されましたが通院するには遠すぎました。

地震の爪痕は深く、交通状況がかなり混乱していたため本来はある程度通わなければならないところを妊娠7週目で地元の病院に紹介状を書いてもらいました。

高齢初産というハイリスク妊婦ですので迷わず周産期医療のある大きな病院へ。

妊婦健診にはきちんと通い、順調な妊婦生活をすごしました。

糖負荷試験でひっかかる

妊婦健診で問題なし、エコーも順調ということで楽勝か?!と思われたのですが「糖負荷試験」という甘い炭酸を飲んで1時間後、2時間後と血糖値を測る「妊娠糖尿病」の検査です。

妊婦健診の尿検査で糖は一度も出たことはなく、体重もやせ形。しかし「糖負荷検査」ではアウトでした。

結果としてはグレーゾーンという感じの数値でしたが「妊娠糖尿病の疑い」ということで食事指導とインスリン注射の指導があり、血糖値を計測しその数値によっては自己注射をしなければならないというものでした。

わたしは糖質を制限して食事に気を付けたり運動をしたりしてインスリン注射は使用しませんでした。でも、とても落ち着かない不安な気持ちになったことを思い出します。

予定日になっても生まれない~!

初めてのお産では予定日を過ぎることは良くあることのようでしたが、予定日を3日すぎたあたりからひどく腹痛がありました。

とても不安で耐えられない痛みだったので午前中に受診しましたが「陣痛ではないみたい。子宮口もほとんど開いていないからとりあえずは家に帰ってください」と言われて帰りました。

でもお腹の痛みは相変わらず。帰宅が深夜になることの多い夫なので入院したかったなぁと思いつつ家でうなっていました。

しかし、その日の夜中の1時に突然破水しました。なぜか夫が帰宅して五分後くらいの出来事。なんてタイミングが良いのだろうと我ながら感心したものです。

病院に電話し、下半身をタオルでぐるぐる巻きにして夫の運転で病院へ。

自然分娩にこだわる医師たち

破水していた影響もあって、バタバタとあわただしい雰囲気のまま夜中の入院となりました。

しばらくして分娩台へ。かなりの痛みでしたが痛みに強い体質らしく8時間近くもだえ苦しんだという感じで過ぎていきました。

陣痛促進剤を打たれ「自然分娩で行けそうですね」と何度も言われて「もうどっちでもいいから早く生まれてくれ!」と心の中で叫んでいました。

すると8時間を過ぎたあたりから、分娩台のわたしの診察をしている医師の顔つきが変わりました。

「赤ちゃんにへその緒が巻き付いて、なおかつあごが引っかかって出てこられない状態になっている。このままでは脳に酸素が行かなくて脳に問題が起きるかもしれない。」

「緊急帝王切開の準備を!」

ものすごい連携プレーであっという間に帝王切開のスタンバイができました。

手術台に上がってから30分くらいで我が子は取り出されました。ものすごい大音量の泣き声にとても嬉しくなりました。

血液などを拭かれた赤ちゃんをすぐに抱かせてくれました。

良くテレビなどで見る「我が子に初対面して涙ぐむお母さん」になるのかな?

と思っていましたがわたしの場合はただ嬉しくなりどちらかというとニヤニヤしてしまったのでした。

 

2900グラム。男の子。わたしは43歳11か月で始めて子供を生みました。占いとは1ヵ月ずれて11月生まれでした。

まとめ

いかがでしたか?

アラフォー婚活から妊活と目まぐるしくすごしました。そして子供が生まれるとさらにそのペースに巻き込まれていきます。そして母親になっても特に母性は増えていません(笑)それでもなんとかやっています。

わたしの場合には子供は持てないかもしれないということと同時にパートナーが子供を希望していたことを知り、期待に応えようと頑張った次第です。

そのため、出産直後にはニヤニヤしていたもののその後は落ち込みがやってきて産後うつにもなりました。
人生何がおこるかわかりませんね。

【シリーズブログ】
【30代後半~40代の妊活ブログ】妊娠するまで試した様々な体験談

【スポンサードリンク】

コメントを残す

サブコンテンツ

このページの先頭へ